蘭光生作品の魅力

 
 私が蘭光生作品に惹かれた理由を自分なりに考えてみました。
 そのまま簡単な作家批評ということになるかもしれませんが、この程度のことは氏が活躍されていた昭和の頃から散々言われていたのかもしれず、私のようなニワカが語るのはおこがましいとの誹りも受けましょう。
 それでもせっかくファンサイトを作るのですから、自身の感じたことをテキストとして記しておきたいと思います。


(1)レイプ犯罪の不条理さのみが描かれている

 どなたかが氏の本のレビューで書いておられたことに、
 「蘭光生のレイプ小説は通り魔的だから良いのだ」
 みたいな内容がありました。
 つまりレイプ犯と被害者との間に因縁や確執などは無く、いきなり出会っていきなり犯されるというパターンが多い。
 終わるときも、犯されてメソメソ泣いている被害者と、ウハハハと悦に入る悪党の姿を描いてスパッと終わる。そのスッキリ、カラッとしている感じが良いのだと。


 この評は一見すると、ただレイプシーンだけを即物的に描いていて、(ズリネタとしての)実用性が高い、と言っているようにも見えます。でもそうではないのだと思います。
 蘭光生氏は、運命の理不尽さと悲哀に泣く被害者を描くことで、読者の嗜虐性により強烈に訴えかけることを目的としているのです。
 幸せに満ちていた日常が不意に打ち壊され、将来の希望も全て奪われてしまう。そしてそこに何の因果も無い。
 突然襲ってきた加害者は、自らの獣性を満足させるだけが目的で、被害者の人となりや未来になど何ら興味を持たない。その不条理さ故に蘭光生作品は興奮できるのだということを、このレビューは言っているのだと思います。


 このように書いてくると、氏の小説は舞台や人物の設定がペラッペラのボリューム不足で、そこに何の奥行きも無いのではと思われるかしれませんが、決してそんなことはありません。
 氏は最低限の説明で主人公やヒロインの履歴や性格を的確に描いており、レイプ小説の情報としてはまさに必要十分です。
 そこまでギリギリに表現を切り詰めて、本題たる濡れ場へコンパクトに持って行くには相当の集中力と推敲が必要だったのではと思われ、氏の官能小説にかける並々ならぬ情熱が伺えます。


(2)ヒロインたちのファンタジックなキャラクター

 氏のレイプ小説のヒロインとしては、犯されるどころか、下着を見られただけで羞恥に竦み、泣きだしてしまうような、一種非現実的な清純派が数多く登場します。
 あるいは人妻であっても、堅固すぎる貞操観念で身を固め、夫以外の男性には指1本たりとも触れられたくないという貞淑モンスターな人ばかりです。
  そんな娘たちはいくら昭和の昔にだっているもんじゃないだろう、ていうかそもそも処女なんか幼稚園でも探さなければいないだろうとは思いますが、少なくとも私にとって、レイプ小説のヒロインというのはそうでなければならなかったのです。だからこそ氏の小説に魅了されたような気がします。


 犯されながらすぐにアンアン気持ちイ〜イ!なんてはしゃぎ出す娘が見たいなら、素人ナンパもののAVで用が足ります。
 そうではなく、「清純」という幻想上のイメージをマンガチックに具体化してみせるのには小説という媒体が適しており、だからこそ官能小説に氏のキャラがピッタリとハマったのではないかと思います。


 同じ伝で、氏の作品のヒロインたちは、レイプ犯に対して全く抵抗の術(すべ)を持ちません。他の作家さんのヒロインであれば、レイプ犯に対して多少なりともチクショウ殺してやる!と憤怒を覚えたり、いい加減にしてよこのクズ!と悪態を吐いたり、もう面倒だからせいぜいセックスを楽しもうと開き直ったりなどしますが、氏のヒロインたちにはそれが無い。
 ひたすらメソメソと泣きじゃくり、レイプ犯に対して赦しを乞うのみならず、自分には何も非が無いのにゴメンナサイと必死に謝ったりします。
 この徹底した弱々しさ、捕食者としてのオスに何のストレスも感じさせない「哀れな獲物」感が、読者の嗜虐心を強烈に刺激してやみません。
 私のような底辺の弱男には、こうした都合の良すぎるヒロインたちがまさに必要であり、そこを鋭く喝破して作品に結晶したのが蘭光生氏だったのではと思います。


(3)人の情を欠片も持たない主人公

 (1)、(2)と関係しますが、氏の小説の主人公、つまりレイプ犯たちは、人間らしい温かな情というものを全くと言って良いほど有していません。
 哀れな被害者たちを容赦なく犯し、辱め、自分の性欲解消と嗜虐心を満たして、ワッハッハ〜!やってやったぜ!とまるで屈託が無い。
 相手の人生をブチ壊すことなど何とも思っていないのです。むしろざまあ見ろああ良い気分だと思ってしまうのです。
 それはつまり、蘭光生氏がわざとそう演出しているワケで、それは読者に対する心遣いからではないかと思います。


 小説に限らず、文芸作品というのは、読者を登場人物に感情移入させることを目的とした作業です。
 それ故に主人公(レイプ犯)が自身の犯罪に屈託を覚えたら、それが読者にも反映されてしまいます。せっかくズリネタとして読むのに、イヤ〜な気持ちでレイプ小説を読むなんてことはしたくないのが当たり前です。
 しかし蘭光生氏の作品では主人公がロボットみたいに非情ですから、読者は彼らを自身と切り離して見ることが出来ます。いくらレイプものが好きな読者でも、現実にレイプをして心が咎めない人なんかまずいないだろうからです。
 自分の代わりにフィクションの中で自分のしたいこと(レイプ)をしてくれるけど、でもこんなサイコ野郎と自分とは違うんだと常に分からせ、安心させてくれるわけです。


 レイプ小説を読んでスカッと痛快!しかし自分にも同じことが出来るとは全く思えない・・・そうした絶妙な読後感を味合わせてくれる蘭光生作品はやっぱり非凡なお仕事だと感じます。


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